2018.9.13  木曜日 23時


しずこちゃんは

さいきんはずっと起きている。

枕元にデジタルフォトフレームを置いてあげると

ずっとそれを見入っている。

2012年にロミオのおごりで
家族みんなで

名古屋のマリオットに泊まりに行った。
その時の写真。


そのころまでは

まあ、旅行も行ったりしていたのだ。


それ以降関係はどんどん悪化 。

いろんな事件があって

去年は誕生日も祝わなかった。

もうほんと勘弁してくれって

虫唾が走る。とはこのことだ。


そしていまは

とてもかわいい。^^

お母さん、というのではないよ。

しずこちゃん。

ほんと赤ちゃんに通ずる

この間紙芝居に行った

ファンキーな仲間が働く作業場の連中に近くなった。


たくさんのロミオのアルバムが各部屋にあって

たまにそれを見てみると

現役のころの「圧の強さ」で

思わずページを閉じる。



ぼくのことわかる?

って聞いても

小鳥の目でちょっと笑ってんのか微妙な顔をする。

そんなことはどっちでもいい。


わたしは今のしずこちゃんがすき。

かわいらしい^^☆


おかあさん、とかどうでもいい。

しずこちゃんになってくれてほんとうに嬉しい。


ロミオ時代の写真をみると

今でもすこしだけ心にさざ波が立つ(笑)




この人と58年もつきおうてきたんや。

ほんとその辺の思いは様々に思う。


看取りってこうやって

お互いの人間関係の最後の精算をしているのかもしれないね。

 




なんとしても無事にあっち側に届けるのが

オレの役割

夜中に痰が詰まって苦しそうにしていると

ゼロゼロ音が聞こえたり

おっ、おっ、って喉の音が聞こえると

寝てても耳は聴こえてるんだろうね。

勝手に起きて電気つけて

吸痰機のスイッチおして

しずこちゃんの鼻の穴からカテーテルを突っ込む。

それを喉の奥の方まで突っ込むのだけれど

一発で突っ込めるホールインワンはまだ数回。

いつも角度を変え乍ら

鼻の穴にカテーテルを突っ込んでる。

取れた時のすっきり感はないね。

 






過去は過去

いまここにいるしずこちゃんは

昔のロミオと全くの別人だ。


だから好き。

昔のロミオだー一嫌い!(笑)

いまのしずこちゃんいいよ。

 







ぼくは おとうさんが好きだった。


おとうさんはずっとあこがれの人だった。

大好きなお父さんは

10歳の時、

ある日突然、いなくなった。


正確に言うと

だんだんといなくなった。


小学校3年生のころから

お父さんは毎日家に帰ってこなくなった。

ぼくはお父さんに

「パパ、今日は泊まって行くの?」

って聞いていた記憶がある。

「泊って行かない」

と、いうと

ぼくはひどくがっかりした。


そして多分あの大雨の土曜日の夜の

大喧嘩以来

お父さんは戻らなかった。


それまでのお父さんはとても子煩悩だった。

6畳4畳半3畳と狭い台所とぼっとん便所がある
1970年代にしても格安の家賃1000円の
市営住宅だった。

お父さんは家にかえると画家だった。
その狭い家に100号くらいのキャンバスに絵を描いていた。
油絵具のにおいを今も覚えている。

絵は何だかわからない抽象画だった。


お父さんは大正11年生まれで
お父さんの先祖は伊勢神宮の恩師だった。

足代、という名字だった。

そっからのルーツを書くとまた長くなるので割愛


ぼくは足代果希という名前だった。

この由来も割愛(笑)
この名前で散々「いたいメ」に会った話もまた。


とにかくお父さん、名前 きよしさんは

足代家をずいぶん誇りに思っていて

君は35代目だとかなんとか。

でも16歳の時に


中村になった。

鳥羽の占い師にみてもらったら

こっちの方が画数がいい、と言われたので

運がよくなるなら

なんでもいいと思って

そっちにした。


足代はいやだった。

なにが嫌だったかと言うと

いつも出席番号は1番なのだ。

これが私の人生に与えた影響は計り知れない。

なんでも1番最初にやらされるのよ。

注射とかもろもろ。

ま、いいや。


で、アジロは

だんだんいなくなった。

 

 

「いつか、お父さんは目が覚める日がくるわ」

ロミオは足代が戻ってくることをほのめかした。

でも足代とあってどっかに行くことは

ガンとして許してくれなかった。


足代に

北海道にスキーに行こうって誘われたのに

お父さんとお母さん、どっちを選ぶの?

とか言われて断念させられたり。



お父さんは、お金払ってくれないの、あなた行ってお金もらって来なさい!

と、これはいつも言われてとても嫌だった。


ロミオも生きるのに必死だったと思う。


商売はロミオの方が上手いのよ。

だからなんでも仕切ろうとするのが

足代は嫌だったと思う。

足代の生業は宝飾工房だった。

5-6人の若い職人さんたちを雇って

夏はキャンプ、冬はスキーと

ぼくもお兄ちゃんおねえちゃんに混じって

いろんなところに連れてってもらった。


ロミオは洋裁店をやっていて

そこも若い女の子が何人か働いていた。

ぼくがまだ幼かった頃。

昭和30年代後半。

1960年代




15歳のころ

居なくなったお父さんが再婚して

子どもがいるという事を知った。

それで微かに抱いていた

お父さんが帰ってくる

という幻が

完全に打ち砕かれた。

そこで

思った。


ダメなものはどうしてもダメ。

じゃあ、いつまでもダメなものにしがみついているのは

バカらしいし、時間の無駄。


ダメ、と判断したらスイッチオフにして

違う道に切り替える術を学んだ。

心にon/offボタンが追加された。

この学校、ダメ。と思った高校をやめた。

いろいろ執着するのは時間の無駄。

と、思って
さっさと違う道をさがす。
というのでやってきた。


でも、ダメ、と思うまでは
ギリギリまで粘るけどね。



だらだらと1時間も書いてしまったが
もっといっぱい嫌な思い出と
楽しい思いである。

足代とロミオ

本当に激しい夫婦から

オレが生まれた。

なんだかな^-^












看取り日記