2018.8.31  金曜日 午後8時

 

6時少し前に目が覚める。

ゆうべ、ゴーストタウンと死体農場のテレビをみながら寝落ちした。

そしたらなんだか昭和レトロの街に迷い込んだ夢をみた。

ユキちゃんと東京でゲストハウスを探していた。

つげ義晴のまんがや天井桟敷の舞台みたいな街があった

山羊の頭を並べている肉屋があったり

ゲストハウスは遊郭を改造したところだった。

千と千尋の神隠しの湯屋みたいな。

そこに泊まろう!

というところで目を覚ました。




しずこさんは廊下をはさんだ向こうの部屋で

自動体位変換機能つきのベッドで眠っている。

時々様子を見に行って足の位置を変えたりもする。

おしっこの量をチェックして 




2階に上がってヨガをする。

階段をあがっていくとき

そういえば17歳のときは毎日この階段を上がっていたことを思い出した。

ぼくが17歳の時にしずこさんはこの家を建てた。

1977年ごろか。

それまではこの土地には

しずこさんの両親。つまりぼくのじいちゃんばあちゃんが住んでいた。

戦後である。

ぼくが幼い頃も
よくじいちゃんばあちゃんの家に預けられた。

しずこさんは東京に商売に行っていた。


母方のじいちゃん、名前を中村楠之助という

歌舞伎役者みたいな名前である。

晩年はインディラガンジーみたいだった。見かけがね。

ぼくが20くらいの時に死んだ。

表具屋をやっていた。

伊勢のみやげものの掛け軸をつくっていて

ぼくが幼い頃

じいちゃんの家にゆくと

天照皇大神宮という掛け軸が

大量に干されていた。


ばあちゃんは とみさんといって

福島県会津の生まれ

またその話は長くなるから後で書こう。

 



今日のヨガはよく伸びた。

ヨガやって、カメラもってウオーキングにでかけた。

30分のつもりが45分も歩いた。

あせだく。

シャワーあびて

ちょっと寝て朝ごはん作って焼いて食べて。

こっちのトースターの方が美味しく焼ける。

ちょっと仕事して。

ユキちゃんがきた。



11時になって、おしっこを取る。

おしっこは尿道から管をとおして

ベッドの脇に吊るしてある

おしっこ袋に貯まる仕組みになっている。


径鼻管栄養は取っていないので

便はほとんどでないので

オムツの交換は訪問看護師さんにお任せした。


おしっこの臭いはやっぱり苦手

鼻呼吸を止めて

袋に貯まったおしっこをバケツに流し込んで捨てる。

だけなのだけれど

やっぱり勇気がいる。

この臭い、タンゴ鉢の臭い(笑)





訪問看護師さんが来てくれた。

ざっくばらんで明るい人たち。

訪問看護の契約書とかいろんな書類に

しずこさんの住所と名前

ぼくの住所と名前

いっぱい書いた。

最近は個人情報とか細かい契約がいっぱいいるのだ。

まあ、そりゃそうだよね。

そこでいちいちハンコを押すのが日本的だな。

ハンコなんてそこら辺で売ってるやつなのに

なんでこのハンコが卑弥呼のハンコみたいに大事なのかよくわからないジャパン


点滴さしてくれた。

きょうは血管探すのに結構苦労していた。

500㏄の点滴を3時間入れる。

針を抜くのはぼく。

昨日、針の抜き方を教えてもらった。

抜いたら

点滴のチューブを血がのたーって。流れた。

血ながれているんやなあ。当たり前やけど。



しずこさんはずっと起きていて

右手を動かしていた。

右手と眼球と鼻と口だけが彼女の動かせる唯一の部位


手で何かを指さすのだけれどわからない。

何かを言っているのだけれど

空気の抜けたオルガンみたいに

何をいっているのかわからない。

でも、うんうん、うなずいて

じっと目を見つめる。

右手で手を握って

左手におでこに手を添える。

目の純度が増したようなきがする。

病院にいた時は魚の腐った目をしていたけれど

ここにきて目に少し光がさしてきた。

 

手は細くなった。

病院にいたころは 栄養と点滴でむくんでいたが

ずいぶんと全体に細くなった。

ゆっくりとゆっくりと

身体も終わろうとしている。

 



訪問看護さん2名が帰られてから

訪問入浴サービスの方が4名来てくれた。

そのうち一名は看護師さん。


お部屋まで風呂桶運んでくれて



ケアマネさん 訪問看護 訪問入浴 ヘルパーさん

來るとみんなちゃんとしずこさんのベッドのそばによって

目をみつめながら

しずこさん 、○○です。 とあいさつしてくれる。

みんなほがらかでやさしい人たち。


夕べはベッドの脇で

ビール飲みながら手をにぎって

頭をなでた。

それが

別に特別な事ではなくて

言葉の代わりに

身体で会話するような感じなのでよかった。



昔は母へのボディタッチなんで

昔に思っていた母子のべったり感が気持ち悪くて

ボヘミアンラプソディとか母に捧げるバラードとか円山花街母の街

とか嫌悪したけど全部歌える。みたいな。



もう、わたしたちはね。

お父さんにぼろ雑巾のように捨てられたの。

ははひとりこひとりなのよ。

とか、毎日言われて、嫌だったな~(笑)



今はそんな記憶もさらっと流せるくらいになった。

いろいろな業があるが、

一番深いのが親兄弟だよね。

輪廻転生の考えからみると

なんで、この世で

ぼくの魂としずこさんの魂は

母子の関係を選んで生まれてきたのだろうか?

とか

よく考えます。

なんで私とあなたがこの世で出会ったのか?


初めて会ったのに

昔からずっと知っていた、というヒトもいるし

前世からの因縁を感じる友だちもいます。

この世で出会ったのは

そのたましいと

なにかしらの問題を解決 または発展させるのが

宿題のような気がします。


今のこの時間はしずこさんもぼくも

魂の関係性の卒業試験tのようなものだと

思います。



オヤジの時もそれは感じました。

オヤジ、きよしとぼくの関係もとても

ぼくにとってはとても痛い関係でした。

ぼくはきよしさんがとても好きでした。

加山雄三の次にきよしさんが好きでした。

きよしさんになりたいと思いました。


あの10歳の頃の忌わしい記憶

どしゃぶりの雨の土曜日の夜の8時

ドリフが放映開始よりも前、

白黒テレビでは人気絶頂のお笑い番組 、

「コント55号の世界は笑う」が流れていました。

口論からはじまった夫婦喧嘩

次第にエキサイトしてゆく両親

罵り合い 罵倒

「閲覧注意」レベルの夫婦喧嘩が目の前で展開されたのち、

サントリーレッドの空き瓶を手に

どしゃ降りの雨の中、

きよしさんは二度と戻って来ませんでした。


どしゃ降りの雨、

爆音で流れるお笑い番組
人々の笑い声

夫の罵声
妻の悲鳴
物の壊れる音

ぼくは、どうしようか。

と一瞬だけ冷静に考えました。

号泣する母を慰めるのも

なんだか違うような気がする。できない。

でも、ものすごいショックやヨナ。

この気持ちの当座の処理の方法は

泣くしかないよな。

と、考えて泣きました。

そこまで言語化して考えたわけではないですが、

気持ち的にはもっと悲惨な気持ちでした。

それでもどこかで、

これってものすごくシュール☆

テレビではみんな爆笑してるのに

ここではめっちゃ悲劇がくりひろげられてる。

喜劇と悲劇は紙一重

なんかその時

世界の構造の片鱗が分かったようにもおもえました。



いつか映画化したい。と思いながら

40年続いたトラウマとなってしまいました。

やっとさいきん、それを

ドラマ化してもいいな。って思えるようになりました。

それまでは

そのことを思い出す度、

どこかが痛むので、キズがなおっていなかったのです。

でもいまはほぼ完治。


父、清は21年前に長女が生まれる一か月前に死にました。

清とはたぶん、魂の属性がにているのだと思います。

父が好きなゆえに去っていた喪失感は

長年癒えませんでした。

 



清の二番目の奥さんが亡くなって

その葬列に参列して

奥さんの遺影を持ちました。

それから清が死ぬまでの数年間

清の主宰する絵画塾に通い

ゆきちゃんと三人で熊野に旅行に行ったり。

全然けんかもしないし、とても楽しかった。

清はアーティストとしてもすごいと思う。

わたしら親族の無頓着で作品は散逸してしまいましたが

清の作品見てるとまだ越えられないな。と正直思うくらいですこし悔しいです 。(笑)


しずこさんとは属性が火と水くらい違います。

よくこの二人が結婚していたな。と思うくらい。

でもぼくは選択の余地も自由もなく

しずこさんと暮らす羽目になってしまったのです。

ま、その辺もまたいずれ書きましょう。

 

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その後


訪問入浴サービスさんも来てくれる

女子3名うち看護師一名

男子1名のチームだそうだ。

みんな明るくてやさしい。

伊勢鳥羽志摩、度会郡までカバーしているらしい。

バンにボイラーやらホースやら

バスタブやらいろいろ満載してあった。

今日は下見に来て、

バスタブの設置場所確認して

水道の位置や

長さを確認していった。


いろいろと手厚いサービスがあるものだ。

これもすべて一割負担の介護サービスで

まかなってもらえる。


20年前までは骨まで見える

蓐瘡のできた寝たきり老人なんていくらでもいたそうだ。

介護保険制度が出来てから

サービスが手厚くなったそうだ。

それでもぼくらが老人になるときにはもっともっと老人は増えて

若者は減って行くわけだ。


今のように

床ずれ防止のエアベッドや

毎日一時間の訪問看護

など

そん奈手厚いサービスが受けられうのだろうか?

ま、なんにせよ。

わたしは世界のどこかで

 

野垂れ死にでいいや。

 

そういやみきさん、かえってけえへんな。

連絡もつかんし。。

どっかでうまいことやっとるやろ。




今日来てくれた人はみんな天使のように思えた。

トランペットはないけれど

点滴と聴診器とバスタブもって。

ありがとうございます。^^☆


看取り日記