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暴動2
【ご教訓】
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ネパール民主化運動1990年
ネパールの首都カトマンズ。
入国した時から市内はなんだか騒然としていた。
街にはヘルメットとたてを持った機動隊がいたるところにいる。
でもそこはネパール。直立不動で目をぎらつかせているというわけでもなく、
たったりしゃがんだりタバコ吸ったりおしゃべりしたりでのんびりムード。
観光客と写真をとっている人もいる。ただやたら数が多い。
そのころのネパールは王様の独裁政治で人々の不満はくすぶり続け、
いつ革命がおっきても不思議では無いといわれていた。
おりしも90年と言えばベルリンの壁が崩れ、
ロシアや東欧諸国が民主化に向かって激しく揺れ動いている時期であった。
ある日まちを歩いていると、向こうからデモ隊がやって来た。
50人くらいだったろうか。「デモクラシー万歳」と
シュプレヒコールを叫んで通り過ぎて行き、角を曲がって見えなくなっていった。
そのしばらく後からジープとトラックに満載の機動隊が追いかけていった。
「わー」と角の向こうから喚声が上がりさっきのデモ隊がこちらに向かって逃げてきた。
その後から機動隊も追いかけてくる!
ヤバイ!と本能的に思い、逃げて帰ってきた。
発砲でもされていたら流れ弾がこっちに飛んできても不思議ではない。
そのとき初めて暴動の怖さを思った。
その後、政府に抗議するゼネストが続き商店は閉まり交通機関はマヒ状態であった。
夜間外出禁止令が敷かれたが、街中の安ホテルに宿を取っていたので、
夜になると街のあちこちから口笛が響き渡り、デモ隊と機動隊が衝突しているのが間近で聞こえてきた。
ぼくはそろそろやばくなってきたので早い目に脱出しようと航空券の予約を変更していたのだが
ときすでに遅く空港は閉鎖、48時間の外出禁止令が敷かれた。
しかしその48時間と言うのも当てにならない。案の定、さらに24時間の延長。
食料の買い置きもだんだんと底をついてきた。
さらに風邪をひいて熱が出た。
夜のデモはさらに激しくなり爆発音や発砲の音まで聞こえるようになった。
熱にうなされながら幻のように騒乱の音が聞こえてきた。
隣の部屋からにおう油の臭いに吐きそうになった。
ホテルから空港へ毎日電話してみるが誰も出なかった。
このままネパールを脱出できないんだろうか。
オイラはここで死ぬのかょ。
不安は日ごとに募っていった。
一番激しいデモのあった翌朝、目が覚めると町は静かだった。
「今日もまた部屋に缶詰かょぉ。」
もう外出禁止にもうんざりであった。
ホテルのフロントからダメ元で空港に電話すると、バンコク行きの飛行機が飛ぶと言う。
外出禁止令も解除になったらしい。
「やったー!帰れる!」
とは思ったが身体は熱でフラフラであった。
外に出てみると人々が放心状態で外に出ている。
街には非合法であるはずの「ネパール国民会議」の政党の旗が掲げられている。
熱が出ていたので思考力が無く何が起こったのかまったくわからなかった。
空港に着いて他の日本人旅行者から聞いた話によると
王様が譲歩して非合法の政党活動が合法化され、
民主化が成し遂げられたと言う事だった。
飛行機がふわりと空に浮かぶと乗客から大きな拍手が巻き起こった。
その後ぼくはバンコクの病院へ入院した。
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バンコク1993年
テレビ画面の中では
怒った群集が車に火をつけ、炎上する車を横倒しにして気勢を上げていた。
装甲車が次々と現れ軍隊がデモ隊に発砲していた。
群集はいっせいに逃げだした。
血まみれの市民が介護されていた。
バンコクの王宮前である。
「エーほんとに明日ここに行くんかい!」
伊勢の友達の家で7時のNHKニュースを見てとほほな気分であった。
いくら仕入れとは言え、わざわざ暴動の荒れ狂うバンコクに出かけてゆくのである。
しかしここでキャンセルすればチケット代がパーである。
こんな様子では仕入れに行っても店屋なんて当然閉まっているに違いない。
暴動もいつ収まるかの保証も無い。
仕入れが大事か?いのちが大事か?
ぼくは仕入れを選んだ。
仕入れも命がけである。
うそ、本当はチケット代が惜しかったのである。
それにどんな様子かちょっと見てみたかった。
当時関空はまだ無くて大阪空港からの出発であった。
飛行機の乗客は約10人ほど。
窓際にぱらぱらといるだけである。
未だかつてこんなに空いた飛行機に乗った事は無い。
肘掛を全部上げて3人がけのシートに横になった。
酒もがぶがぶ飲んだ。雑誌もくまなく読んだ。
しかし不安は消えない。
でもたいていテレビとかで報道されているのは一番激しい場所であって、
町の大部分はそれほどひどいことにははなってないはずだ。という予想もあった。
バンコクのドンムアン空港はやはりガラガラであった。
タクシーはわずかにいた。
空港からの高速道路も街もいつもは渋滞で車であふれ返っているのに
ぼくの乗ったタクシーだけが誰もいない大都会を走ってゆく。
もちろんほとんどの店屋はシャッターを下ろしている。
まるでここもSF映画だ。
どうもそれほど危険ではないらしいと思うとちょっとワクワクした。
バンコクの暴動はその後すぐ沈静化し町は2-3日して平常に戻った。
御教訓
98年のインドネシアの暴動の時はちょうど騒ぎが大きくなる前に帰ってきたのでよかったが
もう暴動騒ぎはごめんである。
直接的に危険な目にあったことは無いが、
散歩の途中にデモ隊に遭遇なんてこともある。そんなときは逃げるに限る。
わざわざデモを見物に行くとか参加するとかしない限りまず安全ではあるが
それでも外出は出来ないし食料も水も備蓄が必要だ。
何よりもいつ暴動が収まるのか分からないと言うのが一番不安になる。
48時間と言われても外国のホテルで48時間も外出できないと言うのは非常なストレスになる。
しかもいわれた通りに終わってくれるならまだしもさらに延長とかそういうことになるかもしれない。
最悪の場合はそのまま内戦とかになって町じゅうが戦場にならないとの保証は無い。
大事なのは事前の情報収集であろう。
でもひとつ良い?と思われるのは
自分が歴史の動く生の現場に立っているのを肌で感じられる事だろう。
肌で感じてそれがどうした、と言われるかもしれないが
こうしてホームページのネタに使える、という利点もある。
皆さんも海外に行く時は新聞の国際面には、目を通しておく事をお勧めします。
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